日本の高度経済成長期から、失われた数十年が続いています。
日本の経済の根幹をなす「モノづくり」も、衰退の一途をたどっています。
なぜ、日本のモノづくりが衰退してしまったのか
米国が数々の市場暴落を乗り越えてきたのに対して、日本株式は1990年以降横ばいです。
金沢大学学長、山崎氏は、日本機械学会誌2017年12月で、「日本機械学会の学術研究活動について最近感じる事」 として下記のような私見を述べています。
バブル崩壊以来、なぜ日本のモノづくりが衰退してしまったのか?
生活水準が向上して物が溢れ、情報通信技術の発展、普及も手伝って、製品の価値がハードからソフトへ、モノづくりからコトづくりへ変遷したことなど、原因はいろいろと指摘されている。
アナログからデジタルの世界へと全てが移行し、コンピュータをはじめとする電子情報機器の生産が、製造技術も含めて後進国に移植され、価格競争で人件費の廉価な国々に追従を許してしまった。
新材料開発、工作機械や自動車に代表する摺合わせ技術による製品群が辛うじて日本の強みとして生き残ってはいるが、三次元プリンターの台頭や部品点数の少ないEV 車の普及と自動運転の技術開発が加速する中、それらも早晩、同じ競争の波に晒されるであろう。
私自身、この「名誉員から一言」コーナーが好きで、毎号楽しみに読んでいます。(関係ないが、「機械や英語のアレコレ」も好き。ただ逆に、他の項目はあまり読んでいない)
今まで日本を支えていた工業製品は、「製品の価値がハードからソフトへ」移り、日本が提供できる価値が少なくなってきている、とのことです。
本当にその通りだと思います。
学術研究はどう変化すべきか
また、このなかで、どのように学術研究が変化すべきかについて、「かなり大胆な異分野融合」が必要だと主張されています。
機械学会が医療分野との合同講演会を行う、などを例に挙げています。
支部組織が独自の裁量で行っている研究は、狭い分野に留まり、解決する課題もニッチなものになります。
今の大学の研究は「おもしろい研究」は多いのですが、「産業で使える研究」は非常に少ないということを強く感じます。
よく、学術論文の冒頭には、「〇〇は自動車で使われる技術で~」など、製品名が挙げられ、どのように貢献できるかが書かれます。
ただ、その製品を扱う企業と共同研究をしているかというとそうではなく、大学が単独で行っている場合も非常に多いです。
企業にいると、産業界の目指している姿と、学術研究の目指す先が一致していないと感じることもしばしばあります。
研究はそういうものだ、と言っていては日本の産業が死滅してしまいます。
山崎先生の警鐘に賛同したい。
コメント