分子レベルで材料の秘密を解き明かす鍵となるのが、飛行時間型2次イオン質量分析法(TOF-SIMS)です。この精密な表面分析技術は、微量成分を発見し、試料表面の化学組成を高い解像度で可視化することができます。
本稿では、TOF-SIMSがどのようにして特に電池材料の開発における材料の、微細構造と化学組成の解析に貢献しているかを探ります。TOF-SIMSの独自のメリットと適用時に考慮すべき制約事項についても解説します。
TOF-SIMSとは
飛行時間型2次イオン質量分析法(TOF-SIMS: Time-of-Flight Secondary Ion Mass Spectrometry)は、表面分析技術の一つで、試料表面の化学組成や分子構造を得ることができます。
物質表面から放出される2次イオンの質量を飛行時間に基づいて分析する方法です。TOF-SIMSは、特に微量成分や表面近傍の成分分析を高い感度で調べることができます。
アウトプットイメージ
こちらは、TOF-SIMSを使用して、混合ハロゲンペロブスカイトセルの光照射後の元素分布を可視化したアウトプットイメージです。上図は、表面上で何点かTOF-SIMS測定し、各測定点の位置情報と、m/z値(どの元素が存在するか判断する指標)に対する信号強度を結びつけることで、マッピング画像を作っています。
画像は、ペロブスカイト太陽電池の表面を分析したもので、特定の元素(この場合はZn、La、Au、Br、I)の分布をカラーコードによって表現しています。色が濃いほど、その元素の濃度が高いことを意味し、それによって元素の局所的な蓄積や分布パターンを理解できます。
太陽光発電セルの性能は、材料の均一性や界面の清浄度など、材料の微細な構造に大きく依存します。TOF-SIMSでセルの光照射後に元素の移動や蓄積があるかどうかを検証することで、材料の安定性や太陽電池としての耐久性を評価できます。
メリット
TOF-SIMSにおけるメリットは以下のようなものがあります。
- 表面だけの情報を高感度で取得できる
- 周期表上のほとんどの元素を分析できる
- 有機分子を破壊することなく分析できる
表面だけの情報を取得できる
表面からのみイオンをサンプリングするため、最も表面近く(1nm以内)の組成情報を提供します。逆に言うと、表面以外(深さ方向の三次元情報)は取得できません。
表面分析に特化しており、表面に関しては他の質量分析手法に比べて高い感度を持ち、ppb(1部/十億)レベルまでの微量成分を検出することが可能です。
質量分析のなかで、表面に限らなければ、TOF-SIMSと同じ、あるいはより高感度な手法もあります。ICP-MSは一般的に、非常に高い感度を持ち、ppbレベル以下、場合によってはppt(1部/兆)レベルの微量成分も検出可能です。これは溶液中の元素を分析する際に特に強力です。GC-MSは揮発性の有機化合物を分析するのに適しており、ppbレベルまでの感度を持つことが一般的です。
周期表上のほとんどの元素を分析できる
周期表上のほとんどの元素を分析できます。各元素の化学的状態を、高い空間分解能(マイクロメートル以下)で分析でき、それをマッピングできる、という点でもメリットがあります。
有機分子を破壊することなく分析できる
低損傷ビーム(アルゴンイオンなど)を使用するため、大きな有機分子を破壊することなく分析し、分子構造やフラグメントパターンに関する情報を得ることができます。
リチウムイオン電池では、電解液に有機溶媒が広く使用されており、固体電解質にも有機ポリマーが利用されることがあります。TOF-SIMSはこのような有機成分サンプルを破壊せずに分析できるため、電極の表面に添加されたバインダーや導電助剤の分布を調べることも可能です。電池の劣化過程で生じる有機分解生成物を検出することにより、劣化メカニズムを理解するための情報を得ることもできます。
デメリット
TOF-SIMSにおけるデメリットは以下のようなものがあります。
- 分析過程で試料が破壊される
- マトリックス効果が定量性を低下させる
- データ解釈が複雑
破壊的分析
プライマリイオンビームが試料の表面を削り取るため、分析過程で試料が破壊されます。分析の過程で試料が完全に消費されるため、同一のサンプルを他の分析目的で再使用することができなくなります。
例えば、TOF-SIMSの定量性を確認するために、同じ試料を用いてICP-MS(誘導結合プラズマ質量分析法)での補完的な分析をしたいと考えても、TOF-SIMSもICP-MSも破壊検査であるため、全く同一の試料を異なる分析手法にかけることができません。
マトリックス効果が定量性を低下させる
「マトリックス効果」があるために、分析した元素を定量的に比較することが難しくなる場合があります。
例えば、ある元素が炭素のようなマトリックス内に存在する場合と、金属マトリックス内に存在する場合とでは、同じ元素であっても放出される2次イオンの数が異なります。観測される2次イオンの強度も異なるため、直接的な比較や定量が難しくなります。
マトリックス効果が発生する原因は、イオン化ポテンシャルの違いや、試料表面の結合状態の違いに起因します。
マトリックス効果はTOF-SIMSに限らず、他の分析手法でも発生します。例えば、X線蛍光分析(XRF)、原子吸光分析(AAS)、質量分析(MS)などの技術でも、試料のマトリックス成分が測定される信号に影響を及ぼすことが知られています。マトリックス効果は分析結果の解釈を複雑にする主要因の一つであり、各分析技術ではこの効果を最小限に抑えるための方法が開発されており、標準試料の使用、内部標準法、マトリックスマッチング、ソフトウェアによる補正なども進んでいます。
データ解釈が複雑
得られたスペクトルやイメージの解釈は複雑で、専門的な知識が必要となる場合があります。
何よりもまず、質量分析に関する基本的な理解(イオン化プロセス、質量対荷電比(m/z)、スペクトルの読み方など)が必要です。質量分析スペクトルでは、横軸にm/z値、縦軸に相対的なイオン強度(検出されたイオンの量)がプロットされます。
他の分析手法と同様に、サンプルの前処理が必要であったり、真空下での測定が必要など、測定時の手間もかかります。
測定の原理
プライマリイオンビーム*を試料に照射し、その表面から放出される2次イオンを時間差で検出します。イオンの質量と放出された後の飛行時間を分析することによって、元素の種類とその表面における分布を高い空間分解能で可視化することができます。
放出された2次イオンは、それぞれ異なる質量を持っています。2次イオンが加速されて検出器に到達するまでの「飛行時間」は、2次イオンの質量に依存します。飛行時間が異なるということは、検出器が2次イオンを異なる時点で検出することになります。重い2次イオンは遅れて検出器に到達し、軽い2次イオンはより速く到達します。この時間差を正確に測定することで、各2次イオンの質量を決定できます。
電池開発で用いられる分析手法
電池開発で用いられる分析手法は多岐に渡ります。手法で分類するならば上記図のようなものが一般に用いられます。今回紹介したTOF-SIMS以外にも、多くの分析手法を組み合わせることで、電池開発の課題可決にあたっています。
まとめ
TOF-SIMSの技術は、微量成分の検出や周期表上の多くの元素の分析が可能であり、低損傷ビームを使用することで有機分子を破壊することなく分析できるというメリットは他の手法には見られません。
しかしながら、破壊的な性質、マトリックス効果の影響、そしてデータ解釈の複雑さといった分析上の難しさもあります。
TOF-SIMSは電池開発において、物質の表面に隠された秘密を解き明かすための強力なツールとして広く活用されています。
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