リチウムイオン電池の性能と寿命を左右するのが、材料の微細な構造です。電池の寿命を延ばすためには、電池材料が充放電のサイクル中にどのように変化するかを正確に理解することが不可欠です。
電池材料分析において「ラマン分光」という技術がよく用いられます。ラマン分光は、物質にレーザー光を当て、それがどのように散乱するかを観察することで、その物質の分子構造を探る強力なツールです。
本稿では、このラマン分光技術がどのように電池材料開発に役立っているのかを掘り下げます。
ラマン分光
ラマンは、物理学の分野で使われる用語で、光が物質に当たったときに、そのエネルギーが変化する現象を指します。
材料に光を当てたときに、その材料がどう光を反射するかをラマンスペクトルとして測ります。この反射の仕方で、その材料がどんな状態にあるかを知ることができます。電池材料開発では、これを使ってバッテリーの充放電サイクルを繰り返し、前後の構造変化を調査しています。
活用の実例
スマートフォンやノートパソコンに使われているリチウムイオン電池には、LiCoO2(リチウムコバルト酸化物)という材料があります。LiCoO2の表面にAl2O3(アルミナ)という別の材料をコーティングしたところ、サイクルを何度も繰り返してもあまり劣化しないことが分かり、ラマン分光を用いて、アルミナのコーティングがLiCoO2の性能をどのように守っているかを調べました。
ラマンスペクトルにおけるEgとA1gのピークは、LiCoO2の結晶構造に関連する特徴的な振動モードを示しています。画像の(a)は被覆前後のLiCoO2のラマンスペクトルで、15サイクル後にEgとA1gのピーク位置に明らかな変化があることを示しています。これは、サイクルを繰り返すことによってLiCoO2の結晶構造に変化が生じることを意味しており、それが劣化につながる可能性を示唆しています。
一方で、(b)はAl2O3で被覆したLiCoO2のラマンスペクトルを示しており、同じく15サイクル後でもピーク位置の変化が非常に小さいことがわかります。これはAl2O3の被覆がLiCoO2の結晶構造を安定化させ、サイクル劣化を効果的に抑制していることを示しています。
この研究はLiCoO2薄膜正極の放電容量維持率の改善に成功し、Al2O3で被覆することによるサイクル劣化の抑制メカニズムを明らかにする一助となっています。
ラマンの結果の見方
画像にはラマンスペクトルが表示されており、HOPG(高配向ピロリティックグラファイト)のエッジ面の反応を調査しています。
横軸・縦軸の意味
横軸は「ラマンシフト」と呼ばれ、単位はcm^-1(波数)です。ラマンシフトは、入射光と散乱光のエネルギーの差を表しており、特定の分子の振動モードに対応します。
縦軸は「強度」で、散乱される光の量を表しています。これは、特定のラマンシフトでどれだけ多くの光が散乱されるかを示しており、物質中のそれぞれの振動モードがどれだけ存在するか(どれだけ強いか)を示しています。
グラフの色
それぞれの色は、左側の図(a)では、異なるリチウム塩を含む電解液(LiClO4(赤)、LiBF4(緑)、LiPF6(青)、LiTFSI(紫))でのHOPGのエッジ面のラマンスペクトルを示しています。
(b)の図は、異なる定電位(1.5V、1.75V、および2.0Vで保持)でのHOPGエッジ面のラマンスペクトルを示しており、電位が変化することによって生じる構造変化を観察しています。
スペクトルピークの意味するところ
スペクトル上のピークから、物質を構成している分子や原子が、どのように振動しているかを見ることができます。検査した材料がどんな化学的な状態にあるか(例えば、他の物質と反応しているかどうか)によって、分子や原子の振動の仕方が変わります。
Dバンド・Gバンド
Dバンドは材料中の不規則性や欠陥を示し、Gバンドはグラフィティックな構造を示しています。
- Dバンド: ラマンスペクトルにおけるDバンド(Disorder band)は、材料内の不規則性や欠陥によるものです。このピークは一般的に約1350 cm^-1付近に現れます。Dバンドの強度は、材料内の不純物や欠陥の量に比例します。
- Gバンド: Gバンド(Graphitic band)は、炭素材料におけるsp^2結合した炭素原子の振動に由来します。このピークは約1580 cm^-1に現れ、炭素材料のグラフィティック(グラフェン様)性質を示します。
- D/G比: DバンドとGバンドの強度比は、材料内の不規則性や欠陥の程度を評価するのに使われます。D/G比が高いほど、材料内の不純物や欠陥が多いことを意味します。
このラマンスペクトルを紹介している研究では、リチウムイオン電池でのリチウムイオンの挿入・脱離が、HOPGの結晶構造にどのように影響を与えるかを調べることで、バッテリーの高耐久化に寄与する電解質の新規設計指針を提供することを目指しています。
ラマン「散乱」とラマン「分光」の違い
ラマン散乱(Raman scattering)とラマン分光(Raman spectroscopy)は密接に関連していますが、少し違う概念です。ラマン散乱は自然現象を指し、ラマン分光はその現象を応用した科学的手法を指します。両者は直接的な関係がありますが、分光法は散乱現象を基にして発展した技術と理解することができます。
ラマン散乱(Raman scattering)
これは物理的な現象を指します。光が物質に当たった時、光の一部が散乱され、その散乱光の波長が入射光と異なる場合があります。この波長の変化は、物質の分子の振動や回転のエネルギーレベルの変化によるものです。ラマン散乱はこの散乱光が入射光に比べてエネルギーが高くなる(ストークス散乱)場合と低くなる(アンチストークス散乱)場合があります。
ラマン分光(Raman spectroscopy)
ラマン分光は、ラマン散乱現象を利用した分析手法です。ラマン分光により、物質を構成する分子の振動や回転の情報を得ることができます。この手法を用いて得られるスペクトルは、特定の物質の化学的組成や構造に関する詳細な情報を提供します。実験室で行われる実際の測定プロセスや、データ解析の方法を指します。
まとめ
電池材料の微細な変化を見る窓としてラマン分光がいかに有効であるかを見てきました。特に、リチウムイオン電池の開発においては、材料の振る舞いを詳細に解析し、それを元に耐久性の高い新しい電解質を設計するための重要な情報を提供しています。DバンドとGバンドの強度比を測定することで、材料内の不規則性や欠陥の度合いを知ることができ、これらの知見は電池の性能向上に直結します。ラマン分光による研究が進めば進むほど、より長持ちし、より安全な電池へと技術は進化していくでしょう。これからも、電池の小さな世界で起こる大きな変化を、ラマン分光が明らかにしていくことが期待されます。
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